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 2012.2.18 野老澤庚申堂情報
先日、町造(野老澤町造商店)において国営放送の方と庚申講春季大祭についてお話させていただきました。
弊サイトをご覧くださいとお伝えしましたが、情報不足でしたので再度編集いたしました。
少しでも野老澤庚申堂の歴史をご理解いただけたらと思っております。
 庚申堂境内入口付近にある笠付き型の庚申塔をご紹介します。
この庚申塔群はねぎしの交差点や下新井からに移されたそうです。

*三基の庚申塔の内、左側の庚申塔の上の部分には月日が刻まれています。
これは月が沈み日が昇る意味で一晩中をお守りする意味だそうです。宝永7年(1710年)
 
*左から二番目の庚申塔は中央に「青面金剛」両側には二童子、
その下に肩をいからせた四夜叉がが二列に並び、その下に猿と鶏が刻まれている。寛文3年(1663年)

*左から三番目の庚申塔 元禄11年(1698年)

*右端の石塔は六十六部供養塔で国内、六十六国を巡拝してきた記念碑です。元文5年(1740年)
 いずれも江戸時代初期から中期の庚申塔が並んでいます。




 庚申堂内 旭庚申倶楽部 戦前は盛んであったようです




 常夜燈 地口行燈など歴史を感じます。
この裏側に何かが隠されているとの情報があります。




庚申について
Net情報の要点を抜粋してみた。

・庚申講は平安時代に中国から伝わり、江戸時代に各地で隆盛を極めた民俗信仰。

庚申講とは、人の体内には「三尸(さんし)の虫」というものがいるそうで
この虫は、干支が「庚申」となる日の夜に人々が寝静まると体から抜けだし、その人が行った悪事を天帝
(てんてい:宇宙を支配する神)に告げにいくのだそうです。そして、天帝が天の邪鬼(じゃき:たたりをする神)
に命じると罰が与えられるので、皆、三尸の虫が抜け出さないように寝ずにお参りをしました。
これが庚申まいりの始まり。


日本に伝わって変化し、徹夜とつつしみの行事は残ったが三尸虫の伝承はなくなり、
行事にともなう会食・談笑のほうに重点が移っていったようです。

道教の守庚申は日本では「庚申様」という信仰対象を祀って礼拝する形となり、
その行事が交歓の機会ともなった。

古くから貴族の間だけこの習わしが行われていましたが、室町時代頃から民間でも盛んになり、
各地で庚申講という集まりができて夜を徹して語り明かす風習が広まりました。
いまでは、寝ずに過ごす風習はなくなりましたが、庚申さまを奉り、飲食を共にして、親睦、
コミュニケーションの場として、昔と同じように庚申信仰行事は引き継がれている。


・ 「庚申さん」と呼ばれている仏さまは「青面金剛明王(しょめんこんごうみょうおう)」で、
もともとは疫病などを撃退する仏さまでしたが、三尸の虫を追い払う力があるとして、
庚申まいりでは「青面金剛明王」を奉ってお参りするようになったのです。
また猿は「青面金剛明王」の使いとされ、石像や掛け軸などに、共に描かれている。

庚申堂
江戸時代の日本三庚申は、大阪四天王寺の庚申堂・京都八坂の庚申堂・江戸入谷喜宝院
の庚申堂であったが、入谷の庚申堂は、現在はない。


庚申と民族
* 江戸時代には、庚申待に女は参加できなかった。
* ご利益= 「長寿が保てる「病が」治る」「家が繁盛する」「農作物がよく出来る」
「魚漁が豊かになる」「商売が繁盛する」「金銭に不自由しない」
* 庚申荒れ= 庚申日には雨が降らないと、本当の庚申日ではない。
* 猿と公事= 京都粟田口の庚申堂に猿を奉納すると裁判に勝つ。
* 庚申の手= 何種類もの仕事を一度にやりたい。
* 庚申畑= 一つの畑に何種類もの作物を作ること。
* 庚申ばら= 年に何回も咲くバラ。
* 庚申袴= 左右の縫い目の部分が少ない袴。
* その他= 庚申丸・庚申松・庚申花などがある。
* 天竜市佐久にある庚申様は、左巻きの縄で庚申さんを縛ると、失物が出るという。
* 水窪町大嵐の庚申塔は、日切りの庚申さんといわれ、信仰がある。
* 菊川町では、庚申待に供えた箸を使うと左利きが治るといわれる。
* その他七との関係は= 七種の花。七個の団子。七色の菓子など。
赤飯・小豆粥= 現在でも庚申待には、桜飯、赤飯を供えるところが多い。
* 禁忌= 庚申の夜、同衾を禁ず。庚申の日に妊娠すると、盗人が生まれる。
( 室町時代から)
石川五右衛門の母は、庚申日に妊娠して庚申日に生んでいる。秀吉も庚申日生まれ。
* 川柳「庚申の夜は持ちのよい嫁の髪」「ゆうべ庚申かえと嫁へんな顔」
「庚申のあくる日聞いて嫁こまり」「庚申塚じゃあおらいやだと村出会」
村出会= 田舎の情事場所のこと。