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  小島英彰氏に今日までの笛道を語っていただきました。

 Q: いつ頃から笛を吹いてらっしゃるのですか?
 
 A: 物心ついた頃、笛の音とか強い風音とか聴くと子供心に官能的になり、
   特に笛を吹くポーズに美しさを感じ、同時にあこがれました。
   7〜8歳だったと思いますが自身で笛を買い、自己流で吹いていました。
   そのせいか左笛になってしまいました。
   小学校での音楽教材のリコーダーも左笛でしたね。
 
 Q:重松囃子の笛を吹き始めたのはいつ頃からですか?
 
 A:中学生の時(昭和40年代はじめ)からだったと思います。
  所沢重松流祭囃子保存会が発足したてで、後継者育成の為に一般公募
  したようです。
  わたしはその一期生で、当初は二百人ぐらいはいたと思います。
  第一回目の稽古は所沢神明社で行われましたが、なにしろ人数が多く
  太鼓は神楽殿、笛は境内の庭でと分かれてやってました。
  その年の秋から始まり、翌年の一月あたりまで行われました。
  実はそれ以降、稽古場が古谷重松の墓がある通称「墓陵」(川端霊園内)
  に移り、旭町の朝倉家の皆様を中心に厳しくも中身の濃い稽古が新たに
  始まったわけです。
  二月の寒稽古の時点で、過酷な稽古場の環境もあってか残った練習生は
  わたしも含め数名でした。
  旭町は故三代目吉之助氏の在中する町内。
  重松流祭囃子の所沢市無形文化財指定は当時、旭町に伝わる囃子のみだったと
  記憶しております。
  それを故朝倉保信氏がそれを所沢市に返上することを故三代目吉之助氏に
  持ちかけ、各町内がバラバラだったのを「保存会」を結成することでひとつに
  まとめ上げ、そこが所沢市無形文化財指定を受ける方向になるようご尽力
  された。
  そのような動きのある中、旭町の囃子に付随する故三代目吉之助を筆頭に
  名人級の強者がマンツーマン指導にあたっていました。
    余談ですが故三代目吉之助に笛(獅子田六本調子)をお貸しいただき
  稽古に励んでおりましたが、ある時、師の自宅が火災にあい全焼。
  笛も全て焼けてしまわれたわけです。
  後に貸していただいていた笛をお返しすると、一管でも吹きなれた笛が
  残っていたことに涙ながらに喜ばれておりました。
 
 Q:その当時における笛の名人は?(所沢市内)
 
 A:旭町では故三代目吉之助氏、日吉町の故古谷秀吉氏、有楽町の故中島徳次氏 
  このサイトでも紹介された旭町の「遠音の源さん」こと故越阪部源氏など
  印象に残る個性豊かな笛を吹かれた方々です。 
  
 Q:個性豊かな笛とは?
 
 A:故三代目吉之助氏を中心に思うならば、故古谷秀吉氏、故中島徳次氏は
  指使いが非常に細かい。
  故越阪部源氏は逆に大ざっぱではあったが音量が大きく素晴らしい。
  所沢神明社の大祭日、今と違って鎮守の森がもっと大きかったが、
  その森から笛の音が旧市役所より先までこだましてきこえる。
  「遠音の源さん」味わい深い音色でした。
  ここに上げた方々は皆、寂りょうとした哀愁をおびた音の持ち主です。
 
 Q:小島さんの笛はその方々の影響が強いと言うことですか?
 
 A:はい。祭囃子の笛のスタートだと思っております。
  後に各レコード会社が出す江戸系の囃子にもひかれていくのですが
  基本はこの名人と思う方々の技術追求が全てでした。
 
                                            続く