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 1909年(明治42年)の新聞記事に所沢の神明祭の様子が掲載されている。
およそ100年も前の出来事ではある。
この新聞を読んで当時の様子を思い描くのも良いかと思います。
文中の「馬鹿囃勇ましく」は「重松流祭囃子」を表現したのであろう。
上仲町=元町東の獅子、浦町=有楽町の旧山車の三種の神祇、河原宿=宮本町の新田義貞
金山町の金太郎、日吉町及旭町の花籠などはどのような物だったのか?
写真とかお持ちの方ご連絡ください。




 写真は明治四十年代だと思われます。花車(山車)が写っていないので断言はできませんが神明社祭礼の様子だと思いますが・・・。
下の拡大写真で手古舞姿の娘やら明治時代の服装など興味深い。





 所沢市も当時は所澤町であったし、町名も現在と
違う所も多く、
上町=元町本町・上仲町=元町東・下町=御幸町・
下仲町=寿町・浦町=有楽町・河原宿=宮本町
現在は山車と呼ばれていますが、花車と記載され
ています。

写真は以前にも掲載していますが、1908年明治41年
神明社祭礼 上町山車(元町本町)





 上町山車(元町本町)加藤清正人形である。(部分拡大写真・大正時代撮影)





 
 下町(御幸町)は翌年明治43年12月石畑村から
現在の山車を購入したわけで新聞記事の明治42年9月
の所澤町の神明祭では砂川一番
(現在は羽村東町:1919年大正8年砂川一番から譲り受ける)
から山車を借りたことが「二人立素戔尊」の記事で推測できる。
 写真は重松流祭囃子保存会HPから引用させていただ
きました。




 明治四十年代の写真と思われる下仲町山車(寿町)。以前にも掲載はしていますが当時の子供達のユニークないでたちに注目。
(部分拡大写真)




 1911年(明治44年)所澤町大祭りの写真 山田呉服店さん下仲町(寿町)所蔵の写真をお借りしました。

薬王寺横丁の南側の坂道の角には明治24年に創業した山田呉服店がありました。
時代の先端を行く日用雑貨も取り扱う所沢で最初のデパートとして賑わいました。
東京の五大呉服店と同じ店より仕入れる地方店はここだけであったと言われています。
大型スパー等が進出するまでは賑わい昭和40年頃まで営業していました



 
 記事掲載にあたって関係者の許可は得ましたが
 問題ございましたらご連絡下さい。
 また記事情報を提供していただいた
 入間郡とその近郊の祭り囃子管理人様
 に感謝いたします。
 写真は以前山田呉服店さんからお借り
 したものと弊サイトで以前掲載したもの
 保存会サイトから流用させていただいもの
 などです。