古谷重松が暮らした地

2006.8.16 (水)

明治16年3月町内宿割と現在のファルマン通り交差点付近の地図 (↑画像上にマウスを置いてください)


1883年 明治16年3月町内宿割と現在のファルマン通り交差点付近の地図を合成。
赤い所に重松が住んでいたと思われる。(更なる調査はいたします。)
当時、重松53歳(沿革史には麹屋を商う古谷源衛門となっているが・・・?源衛門の養子である古谷重松の名は
地図に記載されていないが、妻みきと長女具満は同所で暮らしていたはずです。)


1902年 明治35年 所澤町営業便覧
重松は明治24年に他界したが・・・古谷源衛門の息子だと思われる
古谷源次郎が洋傘商(上段左から三軒目)を営み「こうもり屋」と呼ばれて
いたようです。


現在は新地になっています。
映像


この地が、今後どのように変わって行くか分かりませんが正確な記録を残して
おきたいと思いますので、更に詳しい情報がございましたらご連絡ください。


写真・文章等に問題がございましたらご連絡下さい。