新旧寿町山車

 左側は明治時代後期に撮影された旧山車で、弘化四年(1847年)の作と記され、有楽町の山車、御幸町の山車と共に文化財級のものであった。
その遺構の一部として「獅子の彫物」一対が、内田春作氏の玄関に保存されている。
沿革史によると山車の上部は、勾欄に掛ける獅子の刺繍とおもわれ、また旧山車を解体したとも記されており、彫物の一部を現在の山車に使われているようである。
 右側の写真は2005.10.8に撮影した現在の寿町山車である。昭和二十三年十二月完成した。
 
管理人の新たな疑問

旧山車が弘化四年(1847年)の作と記され、との文章に着目した。
当時古谷重松はまだ17歳。その頃この旧寿町山車の上で
「何流の囃子」を演奏したのか?または「重松流祭囃子」を演奏したのか?



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