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1970年 昭和四十五年十一月 市制施行二十周年記念
日東町山車(日吉町・東町山車)
詳細は調査中であるが、昭和四十三年から昭和四十五年の間に、旭町が分裂し、七世橋を境に東側を
東町として町名変更。写真は、東町が日吉町の仲間入りをした最初の祭りであり、元旭町囃子連のメンバ
ーがこの中におります。
日吉町の山車
(旧) 旧山車は(推定:1879年 明治十二年)のものだという。回り舞台付のものであった。
(新) 写真の山車は前の台座を生かし大改造したもので昭和三十年十月一日起工、同年十一月十八日
完成したもので、考案者は三上金次である。
棟梁は町内の二上良作ほか三名。彫刻師は八王子市の八田直品という人。
絵は曙画会同人。車輪の製作は西所沢の井藤車大工。塗装は入間川のタカラ堂であった。
改造費約二十万円。
経過について
私達の町内にある山車について、いろいろ調べてみましたが、既に長老方が他界し明確なことは
わからないが、私達の師匠、先輩の話によると、前の山車は今から九十九年前に製作され、その
当時では珍しい回り舞台付、屋根には人形を乗せた立派なものであったという。
そして山車そのものが県の文化財という川越の山車にくらべて遜色はなかったということだ。
私達が若いころの記憶であるが、その山車には既に車輪も人形も回り舞台もなかったと思う。
旧旭町の鹿島さんの所へ、祭りがある毎に、「牛車」を借りに行き、若い者七、八人で屋台を持ち上げ
車の上に乗せて曳いたもので、屋根には造花を飾った。
(重松流祭囃子沿革史より)
こぼれ話
東町の長老(94歳)の話によると、写真の高張提灯左側は東町の前は旭町だったそうです。
(ただし、旧山車か新山車の時代なのか不明)
当然一緒に山車で演奏したはずでしょうし、詳細は不明ですが、旭町と日吉町は現在の東町にある
小泉石材付近にあった蔵の中で一緒に練習もしていたらしい。
写真(画像)の無断使用、転載等禁止
尚、この写真は「重松流祭囃子沿革史」に掲載されております
旭町と日吉町の山車・囃子連の関係は、不明瞭な点も多くまだまだ調べる余地がございます。
日東町囃子連の方で、詳しい話をご存知であればご連絡ください。
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