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関東地方三大御堂の一つと言われている。(柴又・浦安・所沢)
寛文2年(1622年)に祀られたそうです。今から347年前江戸時代初期 |
庚申について
Net情報の要点を抜粋してみた。
・庚申講は平安時代に中国から伝わり、江戸時代に各地で隆盛を極めた民俗信仰。
・庚申講とは、人の体内には「三尸(さんし)の虫」というものがいるそうで
この虫は、干支が「庚申」となる日の夜に人々が寝静まると体から抜けだし、その人が行った悪事を天帝
(てんてい:宇宙を支配する神)に告げにいくのだそうです。そして、天帝が天の邪鬼(じゃき:たたりをする神)
に命じると罰が与えられるので、皆、三尸の虫が抜け出さないように寝ずにお参りをしました。
これが庚申まいりの始まり。
・日本に伝わって変化し、徹夜とつつしみの行事は残ったが三尸虫の伝承はなくなり、
行事にともなう会食・談笑のほうに重点が移っていったようです。
道教の守庚申は日本では「庚申様」という信仰対象を祀って礼拝する形となり、
その行事が交歓の機会ともなった。
・古くから貴族の間だけこの習わしが行われていましたが、室町時代頃から民間でも盛んになり、
各地で庚申講という集まりができて夜を徹して語り明かす風習が広まりました。
いまでは、寝ずに過ごす風習はなくなりましたが、庚申さまを奉り、飲食を共にして、親睦、
コミュニケーションの場として、昔と同じように庚申信仰行事は引き継がれている。
・ 「庚申さん」と呼ばれている仏さまは「青面金剛明王(しょめんこんごうみょうおう)」で、
もともとは疫病などを撃退する仏さまでしたが、三尸の虫を追い払う力があるとして、
庚申まいりでは「青面金剛明王」を奉ってお参りするようになったのです。
また猿は「青面金剛明王」の使いとされ、石像や掛け軸などに、共に描かれている。
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