旭町の歴史を語る「摺鉦」「面」「衣裳箱」

西暦 年号 古谷家 古谷家 古谷重松と旭町
1686年 貞享三年  旭町に319年前(第8代将軍徳川吉宗の時代)の摺鉦
(すりがね)がある。現在も使用している
1830年 天保元年 重松誕生
1854年 安政元年 重松24歳 古谷重松なる者が、安政年間に江戸の深川はやしや葛西ばやしを基に、独自の旋律に考案したものといわれる
(東京都武蔵村山市)
1870年 明治3年 重松40歳 伊之吉15歳 面亀創業(朝倉家)
1874年 明治7年 重松44歳 伊之吉19歳 古谷重松太鼓連中が入間市久保稲荷神社に絵馬奉納
1875年 明治8年 重松45歳 伊之吉20歳 重松は中藤に来て蚕室を稽古場
1896年 明治29年 吉之助誕生 伊之吉41歳 旭町・日吉町の衣裳箱
1948年 昭和23年 吉之助52歳 現在の旭町山車は、大工鈴木鉄蔵棟梁(旭町)ほか五名で製作した。(小泉石材店裏にて):朝倉家証言

貞享三年(1686年) 今から319年前の摺鉦
重松が生まれる144年前の物である。
 当時の人物として、第8代将軍徳川吉宗・井原西鶴・近松門左衛門・松尾芭蕉
神田祭の神輿・練り物が初めて江戸城内に入ると記録されている

毎年なんとなく使っている摺鉦(すりがね)がそんな古いものとは思いませんでした。
当然重松も使用したはず。


貞享三年(1686年) 今から319年前の摺鉦(すりがね)
製作者名が記されている。(小幡仁??作)
重松が買ったものなのか・・・?


古谷重松愛用の面(外道)

 明治29年製作の衣裳箱 
当時は旭町と日吉町は、現在の小泉石材店付近の蔵で一緒に
練習していたという話は聞いております。

衣裳箱表側